沖縄の珈琲の歴史と沖縄珈琲農園
珈琲好きが高じて自分で栽培した珈琲の豆を自家焙煎して飲んでみたいという欲求に見舞われて沖縄で個人的に珈琲の栽培が出来ないか調べているところです、これはその覚書です
沖縄での珈琲栽培の始まり
1875年
明治初期、榎本武揚(えのもとたけあき=政治家)が明治政府に建議して認められインドネシア(ボゴール植物園)より112本の珈琲の苗を日本に持ち込み小笠原諸島の父島と沖縄(首里)にて栽培を始めた
最初の112本の苗木が沖縄に到着したのか、父島に到着したのかについては諸説あるが、結局沖縄と父島で珈琲が栽培されたのは事実であるので恐らく両方の地に苗木が届いたと推測されます(オガタの感想)
榎本武揚は政府には珈琲の栽培の適地として沖縄と小笠原諸島の二地を推薦していたとのこと
しかし、この動きはサトウキビなどの他の植物との競争に負けて徐々に縮小していった
1879年3月
廃藩置県と同時に琉球王国が解体され沖縄県となったが、職を失った琉球士族が珈琲の木を持って北部へ移り住み、現在の本部町伊豆味と今帰仁村呉我山で細々と珈琲の栽培を始めた
この二つの地域は沖縄の中でも台風の被害が少なく、珈琲の他にも様々な外来植物の農業試験場のような存在だった
産業化の始まり
1924年(大正13年)
松山王子(琉球王国の四男で尚家の尚順)が本部町伊豆味に桃原農園(とうばるのうえん)を開園
沖縄で珍しい果樹や花を栽培して産業化する試みが行われた、珈琲もその一つで、ハワイからコナコーヒーの種を入手して沖縄でコナコーヒーの栽培に成功した、ただし規模は小さくあくまで研究レベルにとどまっていた
当時、桃原農園の周辺では祝い事に珈琲苗が配られるなど地域全体で珈琲の栽培がおこなわれていた模様
昭和-戦後の動き
1934年(昭和9年)
木村珈琲(現キーコーヒー)が東村で慶佐次農園を開園、台湾と沖縄で珈琲をかなりの規模で栽培
しかし、その後は戦争によって縮小し戦後しばらくは小規模な栽培すらおこなわれなかった
珈琲の木は個人の栽培や野性化によって沖縄の地に残った
1977年
戦後しばらくは個人以外での珈琲栽培は行われていなかった
具志川市(うるま市)の教員だった和宇慶朝伝(わうけ ちょうでん)が1977年に自宅の500坪の庭で珈琲栽培を始めた
和宇慶氏は、ブラジルの農業試験場に行き珈琲の種子を調達、ブラジルのムンド・ノーボ種の生産に尽力し沖縄珈琲の父と呼ばれている
その後、和宇慶氏から教えを受けた恩納村の山城武徳氏が沖縄の珈琲を広めたと言われている
現代
2023年時点では沖縄の珈琲生産者は70名と言われている、ただし、大規模な栽培を行っているのは数社とのこと
有名な農園としては以下を参照してください、各農園ともに見学や体験など様々なサービスを提供されています、また、沖縄での珈琲栽培について大きな情熱を持って取り組まれているのがわかります
・又吉珈琲ファーム(国頭郡東村)
・沖縄SV(元サッカー日本代表の高原直秦がサッカーチームと珈琲農園を経営)
・沖縄珈琲農園(読谷村)
・安里珈琲農園(大宜味村)
・中山コーヒー園(名護市)
・Fuku Coffee Farm(うるま市)
・Harmoney Farm(東村)
・伊波農園(うるま市)
・きじむな農園(豊見城)
https://kijimuna-farm.jimdosite.com/
参考にした記事
自家焙煎の魅力:幸せな気分と新鮮な珈琲の楽しみ方
自家焙煎とは
自家焙煎の意味は
当たり前ですが "自分で焙煎する" です
珈琲の生の豆(生豆)を買ってきて、自宅で焙煎するということですね
珈琲の焙煎というと喫茶店でたまに見かける大掛かりな焙煎の機械を思い浮かべる人も多いと思いますが、普通にフライパン等を使って手で焙煎することができます、しかもそんなに難しいことではありません、もちろんその道を極めるにはそれ相応の経験や修練が必要ですが、喫茶店で飲む珈琲よりも美味しく飲める程度であれば何回か焙煎してコツを掴めば結構お手軽に美味しく焙煎できてしまいます
もちろん個人用でも自動で焙煎する機械もあり、それを使って自家焙煎されている方もたくさんいらっしゃいますが、今回は機械を使わずに手で焙煎すると幸せになれるというお話をしたいと思います
実際の自家焙煎
まず、私がどんな風に焙煎しているのかを簡単にご説明しますね
用意するものとして
・珈琲の生豆
・焙烙(ほうろく)
・コンロ
・焙煎したての熱々の珈琲豆を冷やすための容器
・容器に入れた珈琲豆に風を送る扇子
そして、珈琲豆を焙烙に入れてコンロに火をつけて焙烙を振り振りしながら焙煎して15-20分後に容器に移して扇子でパタパタと珈琲豆を冷やして出来上がりです
豆が冷めたあとに不良豆を除去するピッキングという作業もしたりします
一連の作業を動画に撮って1分にまとめたものがありますのでそちらも是非ごらんください
さて、ここからが本題です
珈琲を自家焙煎すると幸せな気分になる7つの理由
1. とっても新鮮でエグ味の無いコク深い珈琲が飲める
2. ドリップするときの膨らみ具合が凄いので見ていて嬉しくなる
3. 良き香りを何度も繰り返し楽しめる
4. 焙煎直後~5日後ぐらいまで少しずつ味変を楽しめる(5日目ぐらいが一番美味しい説がある)
5. 焙煎している15分間は無心でいられる
6. 焙煎の深さは気分によって自由自在なので謎の万能感が味わえる
7. 焙煎したての新鮮な珈琲は胃にとてもやさしい
最後に、新鮮な珈琲は胃に悪くはありません、本当に何杯でも飲めてしまいます、一日に10杯飲んでしまった時にはさすがにカフェイン過多になってしまいApple Watchの心拍変動が高くなってしまいましたが、普通に飲む分にはまったく胃に影響はありません、むしろ、ポリフェノールなどの薬効が効いてくる感じがします(あくまでフィーリング)
もともと植物の種でしかもつい1時間前までは生きていたものを焙煎して頂くわけですから、珈琲のイノチを頂いていると考えるときっとまだ見つかっていない薬効もあるのではと思ってしまいます
まとめ
如何でしたでしょうか、珈琲を自家焙煎すると幸せになれますので是非チャレンジしてみてくださいね、実際の器材や手順などは別途記事にしようと思っています
デジタル社会のアンチテーゼとしての自家焙煎が楽しすぎる件
こんにちはオガタアキラです
最近やり始めた自家焙煎について語りたいと思います
1. 自家焙煎を始めた経緯
今年(2023年)ハマってしまい、ほぼルーティン化しつつあることがあります
珈琲の自家焙煎です
珈琲は若い頃から好きで15歳ぐらいからずっとブラックで飲み続けてきましたし、最近では一日に7-8杯飲んでしまうという珈琲中毒者なのです
そして
40代の頃、サラリーマンとして働き盛りの時に、
「珈琲は生鮮食料品であり焙煎したての珈琲豆で飲む珈琲が本当の珈琲である」
と主張する喫茶店にたまたま入って飲んだ珈琲が衝撃的に美味しかったので、いつか自家焙煎をして焙煎したての珈琲が飲める環境を作りたいとずっと思っていました
しかし、ブラック企業のサラリーマン生活では、心身ともにヘトヘトだったので珈琲を焙煎するなどという時間がかかるようなことを実際にやってみようと思うことはありませんでした
そして、60歳でサラリマーンをリタイアして、あとは自由に働き自由に生きるだけという環境に身を置いて丸4年、サラリーマン時代に染み付いたいろいろなモノを少しずつそぎ落として、ようやく珈琲を自家焙煎するところまでたどり着きました
2. 自家焙煎とは
それでは、まず自家焙煎とはなんぞやというところから語りたいと思います
珈琲を飲むまでの工程を簡単に書くとこんな感じになります
1. 生豆を手に入れる
2. 生豆を焙煎する
3. 焙煎した豆をミルにかけて粉にする
4. ドリップなどで珈琲飲料として抽出する
喫茶店でコーヒーを飲んだり、缶コーヒーを飲んだりするのは全ての工程を誰かにお任せしたということになります
焙煎した珈琲豆を買ってきて自分でミルしてドリッパーで珈琲をいれるという人は、3項と4項を自分でやるわけで、珈琲にかなりこだわりを持っている人だといえるでしょう
自家焙煎というのは、2項の「生豆を焙煎する」も自分でやってしまおうということですね、自分で焙煎するので自分の好みの煎り具合で焙煎できるし、何よりも焙煎直後の珈琲豆が手に入るというのが一番のポイントとなります
更にこだわる人は生豆を商社から直接購入したり、もしかしたら自分で珈琲の木を育てて珈琲豆を収穫することから自分でやる人もいるかもしれません
私も珈琲の木を育てる夢はあるのですが、日本の気候、特に今住んでいる京都の気候では冬の寒さにも夏の暑さにも耐えられないようなので豆を育てるところからとなると現実的ではありません
ですから、"珈琲好き" がたどり着く究極のこだわりが自家焙煎なのかもしれません
私は自家焙煎を始めてからまだ3ケ月の素人なのでお気楽にやっていますが、自家焙煎界隈の動画やSNS投稿などを見ると皆さん本当に凄いこだわりを持ってやっていらっしゃいます、自家焙煎だけで学問になってしまう勢いです
3. 自家焙煎の良さ
そんな自家焙煎ですが、そもそも何故自家焙煎にこだわるのでしょうか
次に自家焙煎の良さ(メリット)について語ろうと思います
3.1 新鮮な珈琲が飲める
まず飲料としての珈琲を考える上で重要なことは、
「新鮮な状態で飲むのが一番美味しい」 ということですが、自家焙煎はその新鮮な状態をいつでも好きな時に作れるということです
生豆というのは、生きていて地面に植えると芽が出てきます
だから生豆の状態で保存されていれば極端な話何年たっても新鮮ということになります
ところが焙煎してしまうと豆は死んでしまい、その瞬間から酸化が始まり徐々に不味くなり身体に悪い物質も増えていきます
ですから、コーヒー飲料として一番新鮮なのは焙煎直後ということになります
発酵とか特別な場合を除いて、新鮮なものの方が美味しくて身体にも良いというのは周知の事実で、珈琲においてもそれは変わりありません
実際に、焙煎して間もない珈琲を飲んでみると、変なエグ味や変な苦味は無いし、3-4杯飲んでも胃は痛くならないので珈琲に対する見方が大きく変わります
今まで世間で言われていた珈琲の特徴=胃に悪い というのは古くなった珈琲の特徴と言えるのではないかと思うのです
味についても、古くなった豆で抽出した珈琲と比べると違う飲み物ではないかと思うほどで、どれほど美味しいかを表現する文才が無いのでこれ以上の説明は出来ませんが価値観が変わるほど美味しくなると私は感じています
とにかく新鮮な珈琲が飲めるというのが自家焙煎の最大のメリットだと思います
3.2 焙煎度合いが自由自在
二つ目のメリットは、
「焙煎具合を自分で決めることができる」 です
焙煎の度合いによってもちろん味が変わるのですが、おおまかに「浅煎り」「中煎り」「中深煎り」「深煎り」の4段階に分かれますが、もっとこまかく8種類ぐらいに分けて解説しているドキュメントもあります
焙煎の進み具合でどんな化学反応が起きているのかを解説したWebsiteがありましたので興味のある方はご覧ください
コーヒーを化学する。コーヒー豆の焙煎で起きる化学反応とは | コーヒーステーション
もちろん実際の煎り具合はシームレスに変化していくので、自分が飲みたい煎り具合を自由に選べるのがメリットと言えます
まぁ実際には、正確にピンポイントで煎り具合を狙って焙煎するのは初心者にはまず不可能なんですが、さきほどの4段階ぐらいであれば初心者でも狙えるわけです
私は浅煎りが好きなので自家焙煎を始めてからまだ浅煎りしかやったことがありませんが、浅煎りに慣れてきたら深煎りまでいろいろとチャレンジしたいですね
3.3 知的好奇心が満たせる趣味になる
三つ目のメリットですが、焙煎それ自体の娯楽性です、いわゆる「趣味」にできるということですね
珈琲の焙煎には、こだわることのできるポイントが数多くに存在します
例えば大雑把にいうと
・生豆選定のこだわり
・機材・消耗品へのこだわり
・焙煎方法へのこだわり
・抽出方法へのこだわり
になると思いますが、それぞれの項目の中に無数のこだわりポイントがあります
例えば焙煎機については自動/手動/焙煎方法/素材/チャフ除去の仕組み など様々なこだわりポイントがありますし、ミルにしても同じで、複数のメーカの手動ミルを取り揃えている人もいます、また、焙煎方法や抽出方法については細かい工程の中に経験や知見の見せ所が随所に存在します
それぞれの人がそれぞれのこだわりを持って「美味しさ」を追求できるのが自家焙煎なのです
全てのポイントについて経験と知見を深めていく楽しみはかなり奥が深いと思います
そして、知見を深めるにあたっては、焙煎を記録して分析する作業も重要になってきます、まさにPDCAを回してより美味しい珈琲を飲むという楽しみ方?も可能なのです
あと、趣味としてはそんなにお金がかかりません、自分や家族で楽しむ量であれば数万円も出せば素晴らしいアイテムが揃いますし、変動費としては生豆と消耗品とガス代ぐらいで済んでしまいます
他の趣味と比べると美味しいコーヒーがアウトプットとして出てくるので家族の理解も得られやすいのではないでしょうか
私はまだ始めたばかりですので、とにかく焙煎したての新鮮で美味しい珈琲が飲めるというだけで楽しくて仕方ありません
きっとそのうち、いろいろなコダワリの沼にはまっていくことでしょう
世間でも、沼にはまった方々の焙煎うんちくが語られた動画やblogが無数にあります、どれもとても面白いのでぜひ検索してみてください
4. デジタル社会へのアンチテーゼ
これまで、珈琲自家焙煎の魅力=メリットを3つ語ってきましたが、なぜ珈琲焙煎にここまで夢中になれるかというと、もちろん珈琲が好きというのもありますが、焙煎の行為そのものがとてもアナログな行為だということもあるのかもしれません
珈琲自家焙煎がアナログであるというのは
・対象物が生き物(生豆)であるということ
・成功と失敗が数値で計れないこと
・焙煎による変化がシームレスであるということ
・焙煎に必要な機材がほとんどアナログ機材であること
人間そのものは当然アナログなものであり、アナログな何かとは当然相性が良いはずなのです
現代社会はデジタル的なモノや考え方(〇かXかみたいな)に覆われています
・善と悪の二元化
・権威への盲信
・正解は一つという誤解
・ISO的ルールの押し付け
などなど最近やたらと疲れませんか?
権威への盲信やISOはデジタルとは無関係に見えますが、システム化でいう「マスター化」みたいなものと考えられます
珈琲自家焙煎は上記のどれにも当てはまりません、アンチテーゼというのは大げさかもしれませんが、自然にそういうものを追い求めているのではないでしょうか
珈琲自家焙煎をしてそれを飲むひと時は本当にゆったりと落ち着いた気分になります
しかも美味しい!!
みなさんも一度「焙煎したての珈琲」を是非飲んでみてくださいね
ちなみに、焙煎直後は二酸化炭素を豆が放出しているので3-4日後が一番美味しいです
最後まで読んでいただきありがとうございます
私が如何に焙煎を楽しんでいるかがわかる動画がありますのでお暇であればぜひご覧ください、この動画はhow toものではありませんので焙煎ノウハウ習得はできません&長い のであしからず
短い(1分)バージョンもあります
松山 漱石珈琲店の猫ちゃん
7月の3連休に愛媛県の松山に行ってきました
2日目は松山から特急で二時間の八幡浜市へ行く予定でした
10時にホテルをチェックアウトして、特急列車の乗車時刻が昼過ぎだったので時間つぶしに "漱石珈琲店" に行ってきました
ロケーションも素晴らしいし店内の雰囲気も私好みで
これはいい店に巡り合えた と喜んでいたら
足元を謎の物体が通り過ぎました
よく見るとネコちゃん!!
毛並みの良い落ち着いた感じのネコちゃんです
ネットで調べてみました
どうやらこのお店には二匹のネコがいるらしいのです
この時は一匹しかいませんでしたが、その猫があっちに行ったりこっちに来たりとウロウロするのを眺めるだけで心が安らかになります
おかげて時間を忘れて危うく列車に乗り遅れるところでした
名前を聞き忘れてしまいましたが
この猫ちゃんに会いにまた松山に行きたいな~
京都 進々堂 今と昔
創業110年(1913年~)の超老舗のパン屋さん、京都で最古のカフェと言われています
現在ではカフェやベーカリレストランを京都市内に12店舗展開しているそうです、京都から一歩も出ていないところが京都のお店らしいところです
もともとは製パン業もしていたみたいですが、製パン業は2002年に大手に売却して撤退しています
私が進々堂と出会ったのは22歳の時、1981年、42年前ですね
10代のころから珈琲が好きでコロンビア(豆)と喫茶店をこよなく愛していた私は、就職して京都の事業所に配属になり京都に住むようになってからも京都市内を歩き回って喫茶店を巡っていました
ほどなくしてリピートする店がいくつか出来ました
そのなかの一つが、百万遍にある進々堂本店(今は京大北門前店)でした
2023年7月の現在でも当時の趣(おもむき)そのままに営業を続けています
百万遍の交差点と京大農学部の門との間ぐらい、今出川通り沿いに進々堂はありました
初めて入店したのは京都に来てひと月ほどたった5月連休の晴れた日でした
当時はスマホもWebsiteも無かった時代ですので「ぴあ」などの情報誌が情報源でした
関西では「Lマガジン」がメジャーな情報誌でしたが、そのエルマガジンの「進々堂はとにかくクロワッサンが美味しい!!」という記事を読んで早速週末に行ってみることにしました
当日は、ワクワクしながらWalkmanでカセットテープの音楽を聴きながら進々堂本店を目指して歩いたのでした
たどり着いたそのカフェは、小さいながらまさに西洋建築のとても趣のある建物で、間口は7-8mですがその存在感に圧倒されました
店内は思いのほか奥行きがあって広いのですが、私は今出川通りが見える窓側の席を選んで、ホットコーヒーとクロワッサンを頂きながらぼんやりと外を眺めたり他のお客さんを観察していました、当時はもちろんスマホがなかったし、他の人も読書したりぼんやりと考え事をしたり友達との会話を楽しんでいましたね
当時、学生運動が下火になった頃で、先細りしながらも京大にはその名残りが結構色濃く残っていました、学生運動活動家達が大きなテーブルに陣取って議論していたり、マルクスの著書を読んでいる学生さんがいたり、その横では若い学生のカップルが楽しそうにじゃれあっていたり、今思うと結構カオスな場所だったと思います
そして、私を含めてほぼ全員が煙草を吸っていました
それ以来、結婚するまでの4年間、土日のどちらかの朝は必ず進々堂でモーニングを食すという生活が続きました
彼女が出来て一緒にモーニングを食べ、その彼女と結婚して二人でクロワッサンを食べ、子供たちと一緒にカレーを食べ、なんだかんだとお気に入りのお店でしたが、滋賀県に引っ越した頃からは足が遠のいてしまっていました
あれから42年後
京都に戻ってきた私は、毎月一回、妻と私の二人の"父親"の墓参りをした帰りに、進々堂本店(寺町店)でモーニングを頂いています、クルマではなくて自転車で行っています
寺町店でも、できるだけ窓際の席に座って寺町通を眺めながらボーッ考えごとをしています
進々堂には人をボーっとさせる何かがあるのかもしれません
京大北門前店にも一年に一回ぐらいのペースで珈琲を飲みに行っています
今、寺町店で隣に座っている妻は、42年前には、恋人として京大のお店で珈琲を飲んでいました
進々堂の中で働く人たちはもちろん入れ替わっていると思いますが、メニューや建物や調度品は42年前と同じものが残っているものが多いと聞きます
パンの味は変わっているのでしょうか、正直それは自分ではよくわかりませんが、クロワッサンはどこか懐かしい味と香りがします
激しく移り変わる世の中ですが、時がたっても変わらずにそこに存在し続けるものがあって、長い間忘れていたけど、またふとそれと再会を果たした時、言いようのないホッとする感情が沸き起こるのでしょう
「中の人は変われどずっと存在し続けるモノ」
京都にはそういうモノが多い気がします